菅原直敏(神奈川県議会議員)議会報告ブログ〜千里の道も一歩から〜

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神奈川県議会議員菅原直敏の議会報告のブログです。神奈川県大和市選出。無所属。

第1章制度の沿革 3.10年持たなかった年金財政(最初の制度破綻)

3.10年持たなかった年金財政(最初の制度破綻)

予見された財政破綻

 制度発足当初の昭和37年度から昭和45年度までは、共済会の収支は黒字を計上してきた。これは制度自体が若く、成熟度(9)が低かったことに起因する。しかし、昭和46年度に収支バランスが急激に悪化し、年金の運用を行う3共済会(都道県議会議員共済会、市議会議員共済会、町村議会議員共済会)とも赤字に転落した。この結果、昭和50年度には累積資産が枯渇する見込みとなった。昭和46年度に収支バランスが急激に悪化した直接の原因は、その年度に行われた統一地方選挙によって大量の年金受給者が発生したためであるが、その根底には「低額掛金高額給付」という地方議会議員年金制度の構造的な問題があった。

公費負担の導入~国民負担の始まり

 制度発足当初の試算が甘かったことが現実に明らかになったわけであるから、本来であれば廃止も含めた制度の抜本的な見直しや共済会に自助努力を徹底させることが政府や国会には期待された。しかし、昭和46年に提案された改正案は、制度の根本的な問題点を克服する原因療法ではなく、制度継続を図る対症療法を基軸とする内容であった。この時期を境に、同制度は問題が生じる度にその場しのぎの対症策を講じることが常態化し、四半世紀を経た21世紀に全ての問題が取り返しのつかないところにまで進行してしまうことになる。

昭和46年の法改正の主な内容は、年金額の算定基礎となる退職時の標準報酬年額を、退職月以前3年間の標準報酬年額の平均額とすることである。これは公務員共済年金と同様の扱いにするものである。また、共済会の定款の変更により、掛金率を7/100から9/100に引き上げた。さらに、初めて法167条による地方公共団体の負担金が導入された。負担金率は「掛金総額の1/9」である。

制度趣旨を無視した対症療法

 地方議会議員年金は互助年金制度である。新制度に移行してもその趣旨は変わっていない。従って、共済会の運営は会員の負担能力の範囲内で行われなければならず、共済会の収支が悪化した時点で、掛金の引き上げ及び給付の引き下げを行うことによって自助努力をすることが要求される。自ずと「低額掛金高額給付」の制度は「相当掛金相当給付」の制度に移行せざるを得なくなるはずであった。

 しかし、政府見解で共済会の自助努力の必要性が強調されながらも(10)、結局「低額掛金高額給付」という現状を維持し、その財源を少額の掛金率の引き上げと公費負担によって賄う方向性が決定された。このことは、互助年金制度であるにも関わらず「低額掛金高額給付」という矛盾した制度を維持する為に、将来に渡って多額の税金が投入される方向性が確定したことを意味する。「例外的措置」であった公費負担が、「原則的措置」に変容した瞬間である。無論、この変更について国民的な合意は存在しなかった。

 公費負担によって最も懸念されたのは、どの程度まで自治体が負担をするのかという点であった。昭和46年11月30日衆議院地方行政委員会において、吉田之久委員の公費負担による地方財政への影響についての質問に対し、渡海元三郎自治大臣は「掛け金をいまの7/100から9/100に引き上げていただくようにすれば、都道府県か、あるいは市町村が持ちますところの経費は、初年度においても大体3億6千万円程度、負担額が次々に増加してまいりますが、9年ないし10年後において年度間40億という程度になりまして、直ちに地方財政を圧迫するような額にもならないであろう」と答弁している。しかし、この答弁の10年後である昭和56年度の自治体の負担額は、予想した40億円をはるかに上回る約144億円に達しており、地方自治体の財政を大きく圧迫することになる。

このように、昭和46~47年の制度趣旨を無視した対応は、現在に至るまでの地方議会議員年金財政悪化の主因となった。なお、昭和46年衆参両院の本会議において「地方議会議員の年金制度については、その健全化をはかるための措置を検討すること」という付帯決議が可決されている。

(9)被保険者に対する年金受給者の比率。人数ベースや金額ベースで算出され、年金財政を測る指標の1つ。

(10)昭和46年5月12日衆議院地方行政委員会において、山本政府委員は「(共済会の赤字について)経営努力といいますか、共済会自身の努力が必要であろうかと思います。掛け金を上げるなりあるいは給付の歯どめをするなりして自己努力をする必要があろう。」と述べている。