菅原直敏(神奈川県議会議員)議会報告ブログ〜千里の道も一歩から〜

菅原直敏(神奈川県議会議員)議会報告ブログ〜千里の道も一歩から〜

神奈川県議会議員菅原直敏の議会報告のブログです。神奈川県大和市選出。無所属。

終末支援〜長寿至上主義からの脱却

「お兄ちゃん、死にたいよ。死にたいよ。もう私なんか生きていても無駄なんだ。」

夜勤帯、堰を切ったように爆発する感情。寂しさからか、本当にそう思っているのかはその時々でしょうが、自分のおかれた状況にもどかしさや不自由さを感じて涙する利用者に、介護職であれば何度も遭遇します。

そんな時は、同じ目線に立ち、そっと手を握って、ひたすらその感情から出る言葉を傾聴します。

「ありがとう。」

たいていはそう言って眠りにつきます。

ところで、日本では長寿は絶対正義とするきらいがあります。極度に発達した保健・医療は個々人の幸福感よりも、ひたすら国民の延命に執心しています。介護保険制度も「自立支援」を基本理念とし、時としてこの延命への補完的な役割を担っています。

しかし、どんなに保健・医療が発達しようとも、人間の機能はある時期から永遠に反転することのない下降線に漏れなく突入します。そして高齢になればなるほど、この下降線は鋭く落ちていきます。

このような人間の高齢化における特性と医療や介護保険が多大な次世代への借金でまかなわれていることを考えたとき、高齢者を一括りにして永遠に自立支援の理念のみで対応すべきなのかという疑問を持っています。機能回復の見込みが低い人に過剰なリハビリを施術し、薬を大量に処方する。個々人の私財でなされるならばまだしも、有限な税金を用いる対象としては優先順位が倒錯しているように思われてなりません。

数値上の平均寿命を1歳上げる為に大量の税金を投じるのではなく、現役世代がもっと希望を持って現実を生き生きと暮らせる為に用いられても良いのではないかと感じます。現在の税金の使われ方が明らかにバランスを失しすぎているからです。

その為には、高齢者を一括りにするのではなく、肉体的な下降線が急落してきた人に対して、何が何でも1日でも長く「生きさせる」ような自立支援ではなく、速やかにかつ安らかに永眠できる終末支援も選択できるようにすべきではないかと考えています。

そのために、人間の生命的な寿命を基準にした価値観のみではなく、人間の内面的な幸福を基準にした価値観をも考慮できるような法制度を国民的な議論をしながら構築していくと良いのではないかと考えています。