菅原直敏(神奈川県議会議員)議会報告ブログ〜千里の道も一歩から〜

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

菅原直敏(神奈川県議会議員)議会報告ブログ〜千里の道も一歩から〜

神奈川県議会議員菅原直敏の議会報告のブログです。神奈川県大和市選出。無所属。

ともに生きる社会かながわ憲章~この悲しみを力に、ともに生きる社会を実現します~

 本日の神奈川県議会・本会議において「ともに生きる社会かながわ憲章」が前回一致で可決されました。

f:id:naoxinfo:20160921234041j:plain

 

 平成28年7月26日、19人が死亡し、27人が負傷した県立津久井やまゆり園の惨事以来、何度も臨時で厚生常任委員会が開催されてきました。

 また、9月8日に開催された本会議初日から本日に至るまで、代表質問、臨時的に開催された厚生常任委員会及び2回の討論と、おそらく今までの議員人生の中でも最もタフな期間であったかもしれません。

 ただ、このような議会のダイナミズムはむしろ議員としての職責を最も感じられる瞬間であり、神奈川県の障害者福祉の歴史的な転換期に当事者の議員として関われたことは、非常に貴重な経験であったと感じています。

 

1.策定の経緯

 

 9月29日の厚生常任委員会の中で、津久井やまゆり園の事件を受け、「憲章をつくったらどうだろうか」という提案が委員会で出されたのが事の始まりです。本来的には条例も選択肢に入るのですが、期間的に早い段階で強いメッセージを県として出したいという県当局の思惑も働きました。

 

 その後、10月6日の予算委員会において、知事が「10月14日までに憲章を議会とともに策定したい」旨の答弁を行い、事態は一気に加速しました。翌日には臨時の厚生常任委員会が、週明けの10月11~13日まで3日間連続で同委員会が開催されました。

 

 この間、当事者団体の代表や有識者を参考人招致し意見を伺うこともしました。

 

 そして、本日の本会議において全会一致で可決されました。

 

2.憲章の内容

 

ともに生きる社会かながわ憲章

~この悲しみを力に、ともに生きる社会を実現します~

 

平成28年7月26日、障害者支援施設である県立「津久井やまゆり園」において19人が死亡し、27人が負傷するという、大変痛ましい事件が発生しました。

 この事件は、障がい者に対する偏見や差別的思考から引き起こされたと伝えられ、障がい者やそのご家族のみならず、多くの方々に、言いようもない衝撃と不安を与えました。

 私たちは、これまでも「ともに生きる社会かながわ」の実現を目指してきました。

 そうした中でこのような事件が発生したことは、大きな悲しみであり、強い怒りを感じています。

 このような事件が二度と繰り返されないよう、私たちはこの悲しみを力に、断固とした決意をもって、ともに生きる社会の実現をめざし、ここに「ともに生きる社会かながわ憲章」を定めます。

 

一 私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします

 

一 私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します

 

一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します

 

一 私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます

 

平成28年10月14日

 

神奈川県

 

3.菅原直敏の討論

 

私は憲章に賛成をしました。内容自体には反対をする部分はなかったことと、少しでも共生社会の実現に向けた取り組みが進むことに期待を寄せたからです。以下は、私が本会議場で行った討論です。

 

私は県進会神奈川県議会議員団を代表して、定県110号議案「ともに生きる社会かながわ憲章」について賛成の立場で討論を行います。

 

「この子らを世の光に」

 これは、日本の障害者福祉の発展に大きく寄与した者として知られ、「社会福祉の父」とも呼ばれる糸賀一雄先生の言葉です。「この子ら」とは知的障害者のことであり、「この子らこそ「世の光」であり、「世の光」たらしめるべく、私たちは努力しなければなりません。」という糸賀先生の思いが込められています。

糸賀先生は戦前に京都帝国大学を卒業後、滋賀県庁に入庁しました。1946年に戦災孤児の収容と知的障害者の教育を行う「近江学園」を創設し、初代園長となりました。その後、先生は独自に様々な障害者施設を作り上げるだけでなく、先生の理念の下に全国で多くの障害者福祉への取り組みが行われました。秦野市にあり、本県の養護学校と連携をしている弘済学園も、糸賀先生の流れを汲む施設の一つです。

 私は県職員でありながらも、その枠に囚われず、我が国の障害者福祉に大きく貢献し、挑戦し続けてきた糸賀先生の足跡に触れたいと思い、滋賀県立近江学園を訪問してきました。糸賀先生は1968年に県新入職員のための講演中に心臓発作により亡くなられました。しかし、同園の職員が先生の考え方に誇りを持って職務に取り組まれている姿が印象的でした。共生社会実現に向けた強い情熱を感じたからです。

 

 さて、本県では平成28年7月26日に神奈川県立津久井やまゆり園で起きた惨事を受け、障害者福祉あるいは共生社会の実現に向けた議論が活発化しています。今まで多くの議員が何度も議会で取り上げて来たにも関わらず、遅々として進まなかったものが、現在は「スピード感を持って」と取り組まれていることに対して、何とも言えない複雑な思いが私にはあります。事件の前後で障害者福祉に対しての県の姿勢がこのようにも大きく変わるのは、県が障害者福祉に対する確固たる理念を持たずに進んできたことの裏返しであると感じざるを得ないからです。

 

 ただ、共生社会の実現に向けた取り組みが進むことは大切であると考えます。そこで、その中の一つの取り組みとして提案された「ともに生きる社会かながわ憲章」について意見を述べます。

 まず、憲章によって神奈川県として共生社会の実現に向けた方向性を示せたことについては一歩前進であると捉えています。

また、審議の過程において、当事者団体や有識者の方々から委員会という「公の場」で意見を伺ったことも、今後の県政運営を考える上では非常に良かったと思います。「当事者を抜きにして本人たちのことを決めない」という最も基本的なことが多少なりとも守られたからです。

さらに、参考人の意見も憲章に反映されたことは、当事者参加の観点からも重要であると考えます。

 しかし、短期間での取り組み故、問題点もいくつかありました。

まず、制定を急ぐあまりに、多くの県民のご意見を伺うことができなかったことは大きな問題です。一週間にも満たない期間で、県の最重要案件を決めるという手法は今後あってはならないと考えます。

また、短期間でつくられた憲章という性質上、抽象的かつ普遍的な文言の列挙にならざるを得ませんでした。したがって、委員会で参考人の方々も述べていたように、本憲章の策定をスタートとして捉え、具体的な取り組みを進める契機にしなければならないと考えます。

そして、ここでいう具体的な取り組みとは、フェスであるとか新聞広告であるといった補正予算で挙げられたような取り組みだけではなく、目立たなくとも、地味であっても、より着実に長期間にわたり県民に浸透していくような骨太の取り組みであるべきと考えます。

例えば、高校教育現場においてより障害者に触れる機会を増やしたり、基本的な障害に対する理解を教育することであったり、県民がじっくりと障害や共生社会について考える機会を提供し、支えられる人材を育成することであったりです。そして、その具体的な取り組みの支柱として、憲章の理念を持った共生条例の検討も議論されてしかるべきだと考えます。これらは事件の前後に関係なく、私自身が訴え続けてきたことです。

ところで、神奈川県では1976年よりともしび運動が長洲一二(かずじ)元知事によって提唱され、最盛期には多くの県民の自発性により神奈川県の福祉は支えられてきました。この活動の隆盛も相まって、本県は「福祉先進県」と呼ばれていました。こう考えると滋賀県に勝るとも劣らない福祉の底力が本県にはあり、そのともしびは小さいながらもまだ生き続けています。

今回の惨事、そしてそれを受けた憲章の策定を契機として、私たちは改めて「福祉先進県かながわ」そして「ともに生きる社会かながわ」をつくりあげていくという決意を申し上げて、本憲章に賛成します。

 

4.まとめ

 討論でも申し上げていますが、この事件が起こるまで歩みの遅かった本県の障害者福祉施策については複雑な思いがあります。一方で、障害者福祉の枠に囚われず共生社会の実現に県議会の全会一致の議決をもって踏み出せたことは大きな第一歩であるとも捉えています。

 

 事件が起ころうと起こるまいと、私の障害者福祉や共生社会の実現に向けた立ち位置は不動です。

 

 是非、みなさんも今回の憲章の制定を契機に共生社会について考えてみてください。

 

千里の道も一歩から